【2016専修大学ワーキングライフ講座⑨】武田哲也氏




2016年の専修大学のワーキングライフ講座、第9回目は、AID-DCC 取締役/経営企画担当 の武田哲也氏です

今回も学生によるレポートです。

スタイリッシュなスーツにサムライヘアーで登場した、鉄砲鍛冶と海賊の末裔という(株)AID-DCC 取締役/経営企画担当 の武田哲也氏が、GAISHIKEI LEADERSによる連続講義の第9回目のゲストだ。「英語は多分TOEIC 450ぐらい。数学は1か2しかとったことがない」と笑う武田氏は、WEB系ベンチャー企業や外資系出版社でバリバリ仕事をこなしてきた経歴を持つ。今の私たちとおおむね20年ぐらいの時間差。武田氏は自身のキャリアから、

①オンとオフの区別は勧めない

②どう生きるか、の中に仕事はある

③多様性を理解する

④生かされるのではなく、生きる

⑤決断ができるようにする

という5つの信条を90分間学生たちに伝えた。

「簡単に経歴を紹介します」と話し始めると、その壮絶な道のりに学生たちの目が釘付けになる。

大学卒業後フリーランスのデザイナーとしてキャリアをスタートさせた武田氏は、社会経験3年目で初の就職活動をし、有線ブロードネットワークス(現USEN)へ。その後オン・ザ・エッヂ(後のlivedoor)へと移り、「お勧めするわけではないが、人の3倍働けば、やはり3倍に近いスピードで成長する」という長時間労働の日々を送る中で、出会った方々と起業。

「まず、ここで言いたいのは、新卒で就職する必要がないなら、別にする必要はないってこと。新卒の時だけが就職のタイミングではない」と自身の年表をもとに学生たちに語りかける。

起業し5年の月日が経とうかという頃、経営方針の違いから職を辞し、再びlivedoorへ。事件後の同社でWEBコンサルティング・インテグレーションの事業を立ち上げ直す。NHN Japanへの株式売却に伴い、同社をはなれ再びフリーランスへ。2011の震災を契機にVOGUEやGQを出版するCondenast Japanに転職。そして現在は、世界でも有数のクリエイティブ企業であるAID-DCC( http://www.aid-dcc.com/ )の取締役を勤めている。

「この一連の講義の中で、田原さんが”キャリアプランなんてなかった”とみんなに言ったと思うけど、私もこの通り、10年計画とかあったもんじゃない。」と照れ気味に話す武田氏は、続けて、

「30歳までに何者になるかは大切だけど、逆に言えば、みんなは30歳までは何者にでもなれる。」「○○しなければいけない、という道だけが人生じゃない。」と次々に学生たちにメッセージを投げかける。

「突然ですが、ここで面白コンテンツとして、私の昨日の1日を紹介したいと思います。」とライトニング・トークを始める武田氏。

「7時に起きます。今日は昼食べる時間はないはずなので、まずやることは朝メシをガッツリ食べる。」

「9時に自腹を切って特急で出社。勤務が東京と大阪で週変わりなので、少しでも家族との時間を大切にしたいから特急を使うんですね。時間を金で買います。」

「朝礼を終え、10時から運用型広告の実務。大事なクライアントの、ってのもあるんですが、伸びている市場の新しいものは自分が必ず触れておかないとな、と思ってます。」

「12時から次の往訪の準備ミーティング。13時半に出発してお得意先へ。」

(このあと驚きの展開があるのだが、氏の強い要望により自粛)

「取締役という職務では当然のことだけど、そうでなくても同じ会社にいるのなら、誰のやってる、やったことでも、自分事にしてほしい。」

「私にとってここで大事になのは教えることで、営業職には逃げないことの大切さを。制作職にはミスや気の緩みがどういう結果につながるのかを。ベテランの技術者には後輩に背中を見せることの大事さを。」

「ラップアップでそれぞれに伝え、19時に新幹線で品川へ。しっかり寝て体力を回復したかったので、ここも自腹でグリーン車(苦笑)。」

「21時半に渋谷に着いて、ヒカリエで酒とつまみを買ってこの専修大学の講義資料を作ろうかと思ったら、外資仲間のある方とばったり会って。」

「結局一杯ひっかけながら、この講義で何を話そうかとディスカッション。」「まあこれは最後に作ったスライドなんですが、」と提示されたのが、3:00AMと書かれたスライド。取締役の方の1日を知り、驚く学生たち。

なぜ、武田氏がこの話をしたのか。それはこのエピソードは今日伝えたいことの1つ目につながるからだ。

「このスライドの方々(GAISHIKEI LEADERSの方々)には見覚えがあると思いますが、この方々の中でオンとオフを区別している人を、私はほとんど見たことがありません(苦笑)。」

「オンとオフの区別をすることなんて勧めません。なぜなら、人間はそんなに器用ではないから。」

立て続けに武田氏は2つ目のメッセージを語り始める。

それはまさにこの講義のタイトルでもある、ワークライフバランスよりもワーキングライフ、というテーマ。

「仕事も生活も合わせて「1つ」の人生。どう生きるか、の中に仕事はある。」「人生の半分を、なんかしかたねーな、って過ごすのは半分を失うってことでしょう。同じ人生の半分の時間を使うんだったら、やりきった方がいい。」

 

でも、やりたくないことを無理してやるのはきつい…、と学生たちが思い始めた矢先、武田氏は3つの観点から「無理をしてでもやるべきか、そうではないか」を判断する三択の手法を提示する。

(1)辛いことも楽しいと思えるか?(2)夢中で時を忘れられるか?(3)どうしてもそれが嫌いになれないものか?

この3つの要素のうち、1つでも当てはまるのであるなら「やりたくないこと」や「無理」ではなくなるはずだ、というものだ。

武田氏が伝えたいことの3つ目は、多様性への理解だ。

「私がこれに気づいたのはグローバル企業に入って、各国のトップレベルとの会議に出てからなんですが」

と前置きしつつも、グローバルという観点ではなく、1つの会社という身近な事例で説明しはじめる。

「おおむね社会に出て数年の人が会社を辞めたいと思うときはどんな時でしょうか?」

「3Kとか、新3Kを加えて6Kだとか言われているとは思いますが、私は『戦友がいなくなった』『上司や同僚と合わない』『身の丈と要求が不一致』『会社が瀕死』のおおむね4つだろうと思っています。」

と自身の考えを述べると、続けて「『会社が瀕死』以外は同じ話で、その人が『多様性』を理解していないから起こる問題だ」と自身の分析を話しはじめる。

「外国人だけが違うのではなく、全ての人間が違う。ここにいる200人だって誰一人として同じ人間はいない。自分と向き合いつつ、目の前の相手を理解しようとすることはとても大切」

という言葉に、”多様性=グローバル”だけではないことを改めて考えさせられる。戦友がいなくなった、上司や同僚と合わない、私は頑張っているのに認められない、などと口に出して言い訳をする前に、自分自身と向き合い、同じ人間など1人もいないということを理解することが何より大切だ。

次々と武田氏の勢いのある主張が学生たちの頭にインプットされていき、4つ目に話しはじめたことは、「生かされるのではなく、生きる」ということだ。

「多くの人がブラック企業だなんだと言うけれど、じゃあホワイト企業って何?」と提示されたスライドには、世間で言われるところのブラック企業の要件を箇条書きにしたものであった。

武田氏は次のスライドに移り、これらを逆転させた箇条書きを「ホワイト企業」として提示した。

「楽、安全、キレイ、給料が高い、休暇が多い、カッコ良い、って、チャレンジの香りがしなくない?生きている実感あるのかな?仮にそういう環境があるのなら、それは、みんなが生きてやっていることじゃなくて、先人たちの偉大な成果・業績によって『生かされている』ってことなんじゃないのかな。」

もちろん、私たち経営者、経営陣は常に適法でこういう環境を目指しているのだけど、と続けつつも、

「みんなには生かされるんじゃなくて、生きて欲しい」というメッセージに一斉にペンを動かす学生たち。

密度の濃い武田氏の講演の最後のメッセージ、それは「自分で決断ができるようにする」ということだ。

”なんとなく周りが大学に行くから進学、同級生がみんな就職するから就職、親がこうしろというから、あるいは先生が言った通りに…”と決断を周りに委ねてしまう若者は少なくない。

武田氏自身もメンタルが太くなるまで「決断」ができなかったそうだ。

彼が自らの生き方を変えられたのは”3つのマイルストーン”という方法を生み出したことで、現在もこれを活用しているという。

「反省はしても後悔はしないですむ」方法論の”姿勢”に賛否はあれど、参考にすることは多いのではないだろうか。

ネガティブもポジティブも肯定も否定もせず、ただ「向き合う」ことの重要性を伝えたい。講義の時間が終わりに近づく中で、池本教授との質疑応答がその姿勢を表しているように感じた。

メッセージ性の強さを際立たせようとする教授の質問に対し、武田氏はこう答えた。

「…いやー、というか、そこまで強い思いでは無いんですが、「こう生きろ」ということではなくて、「こういう生きたかもある」と、ちょっとゆるい感じで伝えたかったんです。」

90分間、武田氏のトークが途絶えることはなく、熱いメッセージが次々に学生たちの頭の中にインプットされていった。学生たちがどのように今後アウトプットしていくのか、それは言うまでもなく私たち学生次第である。社会に出る前の学生たちに多くの選択肢を与える講演となった。